意欲的なテーマだが、本質論が欲しかった「SKIN+BONES」(国立新美術館)
さて、本日はポッドキャストはお休みし、昨日見て来た国立新美術館の展覧会「SKIN+BONESー1980年代以降の建築+ファッションー」の感想を記してみたい。
この展示会は、ロサンゼルス現代美術館で先に開催されたものを、日本向けにアレンジしたということらしい。ちょうど、同時期に同じ六本木の森美術館さんで、「ル・コルビジュエ展」が開かれているので、建築に関するテーマを同じエリアで取り上げるというのは回遊が見込めるので集客戦略としては正しいし、恐らくは日本展に当たっての協力者・京都服飾文化財団さんのサジェスチョンもあったのであろう、日本のファッションデザイナーの御三家、三宅一生氏、川久保玲さん、山本耀司氏の作品が大量に登場していたのも、「国立の新しい美術館」の船出には相応しい内容、ということになるのであろう。
だが、何人ものブロガーの方が感想に記しておられた通り、この展示会、これまでほとんど誰もがなしえなかった「建築とファッションの相似性」というテーマに果敢に挑んでいること、1点1点の個々の展示作品や模型、写真の素晴らしさというのは非常に強く伝わってくることは高く評価できるが、反面、取り上げたテーマを深く掘り下げられているかということや、服飾史及び建築史の双方をきちんと正しく理解し、来場者に対してわかりやすく伝えられているのかについては、課題が残るのではないかというのが私の感想である。
私は建築に関しては全くの素人である。このブログを読まれた建築のプロの皆様のご意見を是非伺いたいと思っており、そのことを前提にした上で本論をお読み頂きたいと思うが、私が気になったのは、次の4点である。
1.この展覧会の副題には「1980年代以降の建築とファッション」とあるが、実際に展覧会に登場している作品の大半は90年代以降、2000年以降のものばかりである。
何故、この展覧会の副題を「1980年代以降の」とする必要性があったのか?その説明が、展覧会の中では十二分になされていなかった。
私の想像では、ファッション界の「御三家」登場は80年代のことであり、後述するが御三家の製作手法(構築/脱構築/再構築)及び作品の表面的なディテール(ドレープ、畳み、ラッピング、プリーツ等)が、建築に相通ずるところが多いというのが、この展覧会が主として主張したいところであるので、そのような副題が出てきたのだろう、と思っているのだが?
2.本展覧会は、「製法の類似」「表面的なディテールの類似」ばかりを数多く列挙しているが、ファッションデザイナー及び建築家の本質的な考え方がどこにあるのかということについての説明が乏しいものだった。
Aというファッションデザイナーはこういう建築に影響を受けている、Bという建築家はこういうファッションに影響を受けている、ということを、ご本人達に伺ってちゃんと把握しておられるのだろうか?単に第三者的に想像力を膨らませて「あれとこれが似ている」という展示手法もあるのかもしれないが、取り上げられているデザイナーさん達は、そんな軽いノリで作品を作っておられる方は少ないと思うので、もっとしっかり背景を取材した上で作品を選ぶべきではないのだろうか。
私見だが、ファッションデザイナー側は確かに建築の影響を多々受けていると思えるのだが、建築家の側はどうなのか、という気がした。単に私がファッションについてはデザイナーのインタビュー記事等を読んで予備知識を沢山持っており、建築雑誌等はほとんど読んでいないから知らないだけなのか。だとしても、ほとんどの来場者は、「知らないから知りたい」と思って来ている訳であり、根拠を示すべきではなかろうか?
あるいは、ひょっとしたら、企画当初の推論と違って実際に作業を進めていく中で、ファッション←建築の影響はあっても、建築←ファッションという事例は少ないということがわかったのならば、ごまかさずにそのことは正直に展示の中で告白すべきであろう。
3.この間、「ル・コルビジュエ展」を見た時にも感じたのだが、どうもファッションよりも建築の世界の方が重厚長大な世界だからかちょっとトレンドが遅れて波及しているような感を受ける。
御三家が飛躍した1980年代という時代は、哲学の世界で「ポスト・モダン」という言葉が流行った時代であった。
御三家の存在は、東洋の発展途上国だった日本が、ファッションの世界で初めて欧米と肩を並べるまでになったという事実と共に、既存の服飾の常識からの解放、人間性の解放という問題意識を内包していた点が、世界に衝撃を与えたのである。
ところが、その後、ベルギーのアントワープシックスの台頭など、それを受け継ぐ流れもあったのだが、ファッションの世界においては、ラグジュアリーブランドのパワーが拡大し、洋服そのものはリアルクローズに回帰、バッグやジュエリーなどの売りやすい服飾雑貨で売り上げ、利益を上げるというビジネスモデルが確立する。
彼らがブランドイメージを上げるための戦略の一環として、「建築」の活用ということが急激にクローズアップされてくる。
逆に、建築の世界においては、「ポスト・モダン」の時代に呈示された問題というのは、「個人の私邸」「会社・工場」「公共建築」の分野で様々な形で解決・調和を図る方法が果敢に試みられているのだが、もう1つ、ルイ・ヴィトンやプラダなどが一流の建築家を起用し、建築界の異分野で蓄積されたノウハウを続々と「商業建築」=店舗に注入していったのだ。
その過程で、有能な建築家は、ファッション業界独特の意匠に着目し、ラグジュアリー・ブランドの店舗にブランドのアイコンとなる意匠を、しかしながら周囲の環境と違和感のない美意識をキープしながら装備する術を身に付けたのだ。
真の意味で建築家がファッションを意識したのは、この時が初めてだったのではなかろうか?その代表格が、ルイ・ヴィトンやトッズなどの店舗を数多く手掛けた伊藤豊雄氏である。
この展覧会においては、そういう政治的な文脈について明瞭に語ることが意図的にか無意識的にか避けられていると言わざるを得ない。私個人は、ルイ・ヴィトンの建築戦略を全面的に批判するつもりはないし、逆に、素晴らしく完成度の高いものだと思っている。
ただ、そのことと合わせて、服そのものと真剣に格闘することでヒューマニズムや美を追求しようとした御三家の2000年以降における「敗北」、それをどう判断すべきなのか?それは、消費者に対して?もしくは時代に対して?否、もっと形而下の、売上高という現実の世界においてなのか。
「建築とファッション」というテーマは、実は、今現在商売の最前線に立っている立場の人間にとっては、非常に生臭くドロドロした現実を意識させるものなのである。
4.ファッションの世界においても、建築の世界においても、過去の時代に成しえなかった特殊な構造や意匠が可能になったのは、マテリアルが進化したからなのであるが、この展覧会ではそのことについての説明も不十分だった。
特に、ファッションについて言えば、90年代の新合繊ブーム以降は、合成繊維を用いたデザイン的な革新は見られなくなっている。逆に、昨今のメガトレンドは、エコロジーブームの高まりを背景にした天然繊維の方に向いていると言わざるを得ないだろう。
この様子から見て、建築の世界も、いずれ私邸だけでなく「会社・工場」「商業建築」「公共建築」の世界においても、特に日本では木造が見直されてくるのか、国際的に見てリサイクル可能な新たな建材というものの開発が進むのかーー当方は素人なので、建築の世界のトレンドは予想しがたいが、アートのキュレイターによる展示だからこそ、現状の表面的な要素の比較に留まらず、本質論に立った大胆な未来予想図を呈示してみせて欲しかったな、というのが、正直な感想である。
(お詫び:昨日のエントリのタイトル、展示会場の館名を「新国立美術館」と記しましたが、正しくは「国立新美術館」でした。お詫びして訂正致します)。
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コメント
いつも楽しく読んでいます。
スキン+ボーンズ展は自分も微妙だなと感じ、ブログに書こうかと思っていたのですが…。しかしそれ以上に両国さくらさんが的確に語っていらしたので、こちらの記事を紹介(リンクを張ら)させていただきました。
http://alceste.269g.net/article/5078436.html
今後ともよろしくお願い致します。
投稿: Alceste | 2007年9月 5日 (水) 21時47分
Alcesteさま、初めまして。
コメント有難うございました。
ファッション系著名ブロガーのお一人、Alcesteさまに褒めて頂くなんて・・・恥ずかしいですね。
私のブログは、半分はオバサンの生活日記(生活そのものがファッションやファッション業界にどっぷりつかっておりますんで)のようなもので、かなりいい加減な文章なのですが(^^;;、今後共どうかよろしくお願い致します。
投稿: 両国さくら | 2007年9月 6日 (木) 00時41分