素材の進化がシルエット(デザイン)を変える
アパ工のM宅さん、さくらのブログを読んで朝から高円寺にメールするのはやめて下さい(笑)。人騒がせですね~。
と、関係者にしかわからないつぶやきはさておき、最近両国にあまり来て下さらないM宅さんのお顔を思い浮かべつつ、ものづくりに関するお話を少し書いてみたいと思う。
先日CDショップで、BOOWYのDVDやCDが特集してあるコーナーに行って、久々に往時の氷室京介氏や布袋寅泰氏の写真を見て驚愕した。
彼らのファッションって、今見ると、典型的な80年代ファッションなんだなぁ~と、痛感したんですよね。
ツンツンに立ったヘアスタイル、かなり太目の眉毛、大きく肩パットが入ったDCブランドのような黒いジャケットに、同じく裾方向に向かって少ししぼんでいるテーパードの黒のパンツ。黒い靴。
その頃リアルタイムで青春を過ごしていたさくらにとっては、流れてくる音源には古さを感じるというよりは、「今聞いてもやはり布袋さんのギターは凄いな」と思える感じだったんですが・・・。
ファッションに関しては、今年80年代が来るよという話もあるんだけれど、そのまんまリバイバルというのは、ちょっとありえないなという気がした。
太眉は、レディスでもちょっとトレンドなのだが、決定的に違うのは、やはりジャケットなんですよね。肩パットを大きく厚くし、アームのゆとりを出すというようなやり方は、現在は主流ではない。
というのは、布帛の世界でストレッチ素材というものが発明されたからだ。現在の洋服は、肩幅も身幅もアームホールも小さめ。ゆるみは少なめに、ウエストもしっかりシェイプして、コンパクトに軽く作るように変わって来ている。
もう一つ、昔と違って暖房が発達して、冬場にジャケットの下に厚手のニットを着込む人が減っているのと、ニットに関しても編み機がどんどんハイゲージになって、12Gや14Gではなく16G、18Gが好まれるようになり、細番手の糸で薄手に仕上げたインナーが増えたこと。さらにはその下に着るババシャツも、ストレッチ性が効いておりさらに薄くても保温性の高い素材が続々と開発されることで、素肌に密着するものからアウターに至るまで、全てが薄く、体型をきれいに見せるように変わってきたということもある。
80年代のようなダブダブした服というのは、半永久的にダイエットブームが続き細身のヤングが増えている日本では、今後まず流行ることはないとさくらは思うのだ。
詳しく研究されたい方は、古着屋さんで80年代の服を買ってきて、今のものとサイズを比較したり、解体したりして調べてみられたらよいと思う。
素材の変化が、洋服のシルエット、デザインの変化を内在的に促していく。これは、避けられないことなんですよね。
似たような事象を、この間エースさんの社内に開設されている「世界のカバン館」で感じたばかりであった。展示品を見ていて印象的だったのが、日本のバッグの歴史においてエポックメーキング的な出来事だったのは、1930年代からのYKKファスナーの急成長と、戦後のナイロンの普及の2点だということである。
YKKさんのファスナーがあまりにも優れていたために、長い口金でしっかりとバッグの口を閉めるようなデザインの大きなバッグは急速に日本では作られなくなってしまった、という趣旨のことが説明文として書かれていたが、製造工程が簡略化され、コストの割に丈夫でしかも使い勝手のよい新しい資材が開発されれば、メーカーがそちらを採用するのは当然の帰結だろう。
東レさんを筆頭とするナイロンも然り。レザーではなく、日本の合繊メーカーの粋を生かした軽くて丈夫で雨に強い新素材をいち早く多用して成功した企業さんはエースさんだけではない。皆様よくご存知の、吉田カバンさんも同じである。
着物文化と共にあった織物は別だが、日本の洋服や服飾雑貨の歴史は浅く、歴史と伝統ということでは欧州には太刀打ちしがたい部分がある。ところが、素材や副資材の開発、今日は記さないが製造機器の開発等の“ハイテク”の部分になると、新しい物好きの国民性が幸いしてかダントツの強みが発揮できるところがある。
国際競争ということを意識するなら、この部分を徹底して尖らせる、ということが、まずは王道の勝ちパターンだろう。
さくらは新しいもの好き、マシン好きなので、こういう企業さんが結構好き、ですね。
それとは全く逆張りのアプローチで、敢えて古くから伝わる素材、製造方法のよい部分を大切にする、というやり方もある。例えば、丸編みの吊り機で生地を編むとか。
今年は「和」が少なくとも日本国内ではブームになると思うので、こちらもタイミング的にはちょうどよい頃合いだろう。
価格的に中途半端なゾーンはこれからかなり厳しくなってくる時代なので、国内生産をなさっておられる方はどうしてもプライスの高いもの、富裕層、ラグジュアリーなゾーンを狙わざるを得ないと思う。
ということは、中途半端な知識や取り組みでは全然駄目で、何をウリにするかを決めてその路線に関する知識を徹底して集め、深く掘り下げて最終的には技術を美しいデザインにまで昇華させなければならない。
最近は残念ながら、アパレルさんとか問屋さんがそういう作業に熱心ではないので、製造メーカーさんも自発的にそういう努力をしていくことが必要な時代になってきている。裏を返すと、それが出来る製造メーカーさんは、今まで黒子に過ぎなかったのが一躍「ブランド」として脚光を浴びることが可能な時代になってきたということだ。
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