日本のファッション報道、批評精神欠如の理由は(その3)?
「日本のファッション報道、批評精神欠如の理由は?」の最終回、第3回目をお送りします。
「商品、店舗に関する報道」のうち、コレクション報道の話題の続きを書きたい。昨日アップした第2回目のエントリでは、一般の方向けのメディアのうち、新聞、TV、雑誌、ラジオという、いわゆる4大メディアと呼ばれる媒体のコレクション報道の動向について、特に新聞と雑誌の話題に絞って書かせて頂いた。
これに対し、業界紙誌のコレクション報道に対するスタンスはちょっと違う点があって、読者対象がファッション業界のデザイナーやMD、バイヤーなどのプロになるため、取り上げられているテーマ、色、素材、デザイン、ディテール、スタイリング、雑貨小物やヘアメイク、ショーの演出、起用されているモデル等、商品企画の参考となるような情報が偏りなく漏れなくきっちりと呈示されている必要が出てくる。
うちの会社でつい最近まで非常にお世話になっていた日本を代表するファッションジャーナリストのお一人であるF先生は、「主観を交えるのではなく、プロの皆様のお役に立てるような情報収集と分析に心掛けている」ということを以前おっしゃっておられたが、慧眼であろう。
業界紙誌には読み物としての面白さではなく、まずは、仕事に使える情報がきっちりと掲載されていないと、業界のプロの皆様からのブーイングが出ると思うので。
但し、そういう必要不可欠な情報を掲載した上で、本当はさらに紙(誌)面に今シーズンのコレクション全体の傾向、そしてそれをジャーナリストとしてどう見るか、すなわち、全体的に盛り上がっていたのかそうではなかったのか、良かったデザイナーとその理由(悪かったデザイナーとその理由)、バイヤーや他国のジャーナリストなどはコレクションをどのように見ていたのか、といった批評を掲載すべきなのではないかと私は思う。
それがまあまあ出来ておられるのは、やはりWWDジャパンさんですね。ただ、それ以前の、業界の企画パーソンに必要な情報の整理分析の内容の部分がうーん、という部分があったりするのと、根本的に掲載が遅いというのが、非常に残念なのだが。
以上、一般向けメディア、業界向けメディア双方の現状を見てきたが、双方に共通して、日本に強烈なといおうか、批評精神に溢れたコレクション報道が少ない理由は、主として次の5点にまとめられるのではないかという気がする。
1.一般向けメディアのうち、一般紙の場合は、優秀な人材をコレクション担当者として育成しようという社の方針がないため。また、ファッション担当記者は肩身の狭い立場に置かれる社風のため。
2.一般向けメディアのうち、特に雑誌の場合は、読者に掲載商品を売りたいというコンセプトに立って編集されているため。
3.業界紙誌は、第一義的には、業界の企画担当者向けの情報素材提供のため、コレクション報道を行っているため。
4.日本人の国民性そのものに、批評や批判をあまり好まないところがあるため。
5.記者の中に(特に業界紙誌)、懇意になった日本人デザイナーに対して「応援してあげたい」といった感情を抱く者が多々存在するため。
4と5の点については、日本人全般及び日本のジャーナリストの弱点でもあるのだが、ある意味では長所でもあると思っているのだが、そういう精神的な幼さが、日本のコレクションの発展を阻んでいるということもまた事実だろう。
本気で東京村から、海外コレへの進出を考えるなら、どういう点を強化する必要があるのか、単なるプレゼンの場から、実商売につなげる方法、東京コレクション自体の国際競争力強化、あるいは、国民の税金を投入して行っているJFWという事業そのものの費用対効果の問題等々、論点は多岐に亘る筈だ。
このようなことを書かせて頂くのは非常におこがましいのだが、日本の東コレ取材の常連ジャーナリストの方々と、デザイナーさんとの関係性のあり方というか、まるで「売れないあの子達が可哀想」的な情緒的な気分に陥ってしまっておられるジャーナリストさん達のノリを見ていると、ちょっとした嫌悪感に襲われることがある。
哀しいかな、B級の者同士が寄り添って小さな「東コレ村」を形成しているんじゃないかな、と思って。
以前ファッションではない分野のブログで「記者の入替制を導入してはどうか」ということが話題になっていたことがあるが、ホント、同感なのである。デザイナーでオリジナル性と共に時代性をシャープに捉えることが出来ないものは表舞台から退場の憂き目にあうが、ジャーナリストにも、同様の厳しい評価が下って然るべきだと思うのだ。
こういう状況にある日本のコレクション報道を思うと、私は、一般の方、ないしは、業界人の方によるネットを活用したブログなどでの自由なコレクション批評に、非常に期待したくなる。
ほんと、現状、わが業界のジャーナリズムはお寒い状況なので、地方におられるような方、若い方でも毎日がんがん質の高い評論を書き溜めていかれれば、プロになれますよ、間違いなく。
親しいデザイナーにおもねるだけの報道ではなく、産地にも傾倒しておられた三島彰先生とか、ナイーブな感性が際立つ個性派・平川武治氏や、ファッション史の実証研究に基づく確かな分析力をお持ちの深井晃子さんに続くような、ヤングの心を惹き付けるテキストの書ける書き手が、そろそろ登場しても良い頃なのではないかと思いつつ、最近新刊がほとんど登場しない書店のファッションの書棚を今日も眺めたのである。
追記:日本人の幼いメンタリティ、日本人特有の優しさを、国際社会で戦うために直す、という発想よりも、それを逆手にとって武器にする、というやり方の方が、効果は出やすいのかもしれない。
日本人は、「個」で勝負するよりも、集団になってチームワークを生かした方が成果を上げやすい国民性だとも思うので。
ゴスロリファッションのような日本独自のユースカルチャーとか、TGC、神コレのような、リアルクローズのショーそのものの輸出とかはその好例だろう。
東京コレクションは、そもそも海外のコレクションと同じ土俵で勝負しない方がよいのかもしれない。
また、ファッション・ジャーナリストについても、赤文字系ファッション大好きなガーリーなマインドのカワイ子ちゃんを起用し、好きなように記事を書かせてみるとか、やり方も、ケータイで写真を撮って3行程度に感想をまとめて送信してガンガンネットにアップしていくとか(一般のブロガーが普通にやっているブログ執筆方法ですね、私もやりますが)、
「ジャーナリストとはかくあるべし、報道とはかくあるべし」という既存の常識に囚われないやり方を試してみると、読者との間に、「共感」やインタラクティブなやりとりが生まれてくるかもしれない。
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たとえばプロダクツとしてならば、自動車はデザイン性と共に品質もユーザビリティもしっかり語られます。
そうすると「~~のブランドのデザインはどうだが品質はどうだ」と語れるでしょう。
実は「間違いだらけの車選び」とか「買ってはいけない」という本がヒットするように、カカクコムでの口コミを参考にするように、案外批評を求めている人も多いのではないかと思っています。
表現手段としてのファッションを考えれば、映画でも文芸でもやっぱり批評があるわけです。
そうするとコレクション報道で言えば「今期もずっと続いている流れであり、そろそろ脱皮が求められる」とか「安易な着想を消化し切れていない」というような批評もできそうです。
とはいえ、アパレルという身近で多くの人が興味を持つ分野でありながら、実は経済的には小さな業界であり、社会全体的にも関心の薄い業界ということを教えていただいたのが一番の収穫です。
非常に充実した内容のご返答ありがとうございました。
投稿: UG | 2008年2月26日 (火) 00時26分
UGさん、こんにちは!
私のエントリへの感想を記して頂き、有難うございました。UGさんのお陰で、自分の考えを整理することが出来、とてもよかったです。
私の文章は無意識のうちに業界の方向けになってしまうところがあって、ちょっと誤解を招いてしまったかもしれませんが、
日本のアパレル産業の市場規模は10兆円。ご参考までに、自動車産業が15.5兆円、化粧品が2兆円ですから、必ずしも小さいとは言えないと思います。
中小企業が多いのが特徴なんですね。感性と意欲と商売へのカンがあれば、一国一城の主になりやすい魅力もあります(それを不安定と取る考え方もあるでしょうが)。
ご指摘の通り、ネットの発展で昔以上に「比較」「批評」への関心は高まっていると思います。優れたオーディエンスがあってこそ、映画や文芸同様、日本のファッションも成長していくと思いますので、
これからもどうか、ファッションを楽しみ、ファッション業界を応援してください!よろしくお願いします。
投稿: 両国さくら | 2008年2月27日 (水) 00時27分