【書評】米澤泉著『コスメの時代ー「私遊び」の現代文化論』
ちょっと前に、松岡正剛氏の「千夜千冊」というサイトで書評を発見し、面白そうだなと思って購入していた、米澤泉著『コスメの時代ー「私遊び」の現代文化論』(勁草書房刊、定価2,100円+税)を昨日年賀状を印刷しながら読み終えたんですが、やっぱりものすごく面白かったです。
この本が言わんとしておられる、「DCブランドもしくはJJファッションを選択していたような時代は、『私探し』をしている女性達の生き方を表現する手段としてファッションが人気を読んでいたが、
90年代以降は、コスメに“萌える”女性達が多種多様なコスメを選択し自らの『ビューテリジェンス』の向上を楽しむ『私遊び』の時代に変わった」
・・・という見解には、全く同感です。
なおかつ、男性のアキバ系オタクと、女性の「コスメオタク」は対を成す存在であるというご指摘も、非常に納得がいくものでした。
あとがきで、著者の米泉さんは、「制服と受験のない中学校へ入学した時から、『明日、何を着るべきか』は私の人生の最重要課題となった。(中略)それから四半世紀を経た今でも、ファッションへの関心は衰えていないと思う」と語っておられますが、
この本における記述の半分くらいは、コスメではなくファッションに関わる内容になっていて、この方は本当にファッションがお好きな方だったんだな、ということが強く伝わってきます。
ところが、そのくだりに続いて、「だが、現在のファッションはやはりツマらない」と訴え、興味の関心がファッションからコスメにシフトしていることを告白されるのです。
著者は1970年生まれで、現在は甲南女子大学の講師(同書第1版第1刷刊行時点の肩書き)で、想像ですがオタク的な資質を存分に行かせる大学教師の道を歩んで行かれたのではないかと推察致しましたが、
この方同様、多分に女オタクである私は、では、何故コスメに走らなかったのかなぁと(笑)。
正直、「ファッションが面白くない」という感覚は、ある時期から明瞭に自覚しているんですが、ダラダラとファッション業界周りに留まっている私と著者の差は何なのか?
私はハナコ世代で、米澤さんよりひと世代上なんですが、自分と同世代の、バブル期に青春時代を過ごした方々でコスメオタク道を邁進している方々は結構多いみたいですし、若い頃にはディオールやシャネルの口紅を買い求めることに喜びを感じていたこともあったんですが、
金銭的なことももちろんあるんですが、ファストファッション以上に安いドラッグストアやコンビニコスメ道を究めても良かった訳で・・・。
思うに、私は、相当に不器用(左右対称のメイクが出来ないほど・・・苦笑)だったから、かもしれません、幸か不幸か・・・。地肌も綺麗ではない、それと、あまりいろいろなものを肌に塗るのも得意でない、ということがあって、苦手意識がどんどん高まっていったんですよね。
コスメに関しては、アットコスメさんのようなクチコミサイトもございますし、ファッションよりもはるかに「語り合える仲間」が多いのがうらやましいなという気がします。もし、細かな作業が好きだったら、恐らく、今、このようなブログは書かず、自分が作成したネイルアートの写真でも得々としながら毎日アップするようになってたんじゃないかという気がして、「何だか人生損しちゃったかな」という気もするんですが、まあ、それはそれで良しといたしましょう。
さくら的に米澤さんの掲げるキーワード「『私探し』から『私遊び』」をさらに発展させると、ナチュラル系、手作りブーム、和ブーム(コスメも自然派)の現在は、多くの方が「私守り」に入っておられるのではないか。「私探し」→「私遊び」→『私守り』は、日本の社会が「成長」→「成熟」→「衰退」に向かっていることに対応していますよね。
「守り」は、コスメ雑誌などでも「肌年齢キープ」など「キープ」という表現で頻繁に使われております。あるところまで行ったら、あとは、守るのがやっと。そうやってある者は衰え、代わりに新しい誰かが成長していっている・・・それは自然の摂理で、逆らうことは不可能。衰退を少しでも食い止めるという考え方に立つのか、それともあるがままを受け入れ、もう一度「生き方の美しさ」というところに戻っていくのか・・・。
ひょっとしたら、「私守り」の次には、再び「私探し」の時代が到来するのかも、そんな風にも思ったりいたしました。
しかし、この本には、随所にファッション業界を俯瞰する上でも参考になるトピックがちりばめられていて、面白かったんですが、
1点は、「フラット化する私」という表現。
これは、2000年代の「私」が内面という奥行きを欠き、表層化しているという意味で、著者が付けている注によると、インターネットの普及によるフラット化と、現代美術家の村上隆氏が提唱しておられる「スーパーフラット」=内面の深みを全く感じさせない平面性という意味の2つを掛け合わせているとのことでしたが、
この辺りの文章を読ませて頂いて、私がずっと違和感を感じて来た「ファッションの民主化」という言葉よりも、現在のファストファッション普及の状況は、「ファッションのフラット化」と表現した方が的確なのではないかと、
まさに、「我が意を得たり」という気がいたしました。
もちろん、私は、所得の高い低いに関わらず買い易い価格帯、買い易い売り場でトレンディな商品が提供されているということには、プラスの意味合いが大きいと思っています。
ただ、その反面、上質な素材、丁寧にこだわったものづくり、万人受けはしないがクリエーターの個性が発露されたデザインやグローバルなトレンドとは異なる日本独自のデザインとそれへの共感、心のこもった接客、売り場のコミュニティ、ものを大切にする心など、ファストファッションによって失われているもの、マイナスの面もやはりあるだろうなと思っていたので、
「フラット化」という表現は、まさに、現在の状況の両義性を的確に言い当てているように感じます。
ファッション産業には発展途上国が常に新しく生産拠点として参入してくる、他産業よりそれが早く起こる産業ですので、メインストリームの低価格化というのは避けられない流れであるということは承知した上で、自社の企業規模ややりたいことが何なのかを考えて、敢えてそことは違うポジションを取り、経済的に成り立つ仕組みを構築して行く、というのも、もちろんありだと思うんですよね。
もう1点感心したのは、2006年にイブ・サンローランが「ヤングセクシーラブリー」というネーミングの香水を発売したことについて、「あまりにも即物的なネーミングである」と嘆いておられたこと!
そ、そういえば、そういうフレグランスもあったなぁと。
サンローランはその前に、1999年に「ベビードール」を発売、日本で大ヒットさせているんですが、
この辺から、今秋の、例のトートバッグが付録に付いた「ムック本」発売への流れは、始まっていたんだなと。確かに、即物的なんですが、今のヤングの気分を真っ正面から捉えたマーケティング活動を連発されているという気がいたします。
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