最近のトラックバック

2018年4月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          
無料ブログはココログ

両国さくらのお気に入りリンク♪

お断り

  • 本ブログと無関係なコメント、トラックバックは予告なく削除させて頂きます。

当方の連絡先について

  • 当方の連絡先は、次の通りです。#の代わりに@を入力してメールをお送り下さい。 ジャーナリスト「両国さくら」としての取材領域は、女性の目線で見たモバイル・ビジネス及びケータイ(モバイル)通販、ネット通販等が中心です。お気軽にお問い合わせ下さい。 ファッション・ビジネスについての取材は、本業との兼ね合いでお受けできるものと出来ないものがございます。ご相談事は、極力本業の方でお受けするようにしておりますので、予めご了解下さい。 underground1103#yahoo.co.jp

« リトゥンアフターワーズのショー | トップページ | リンク集に「ななみのファッションつぶやき日記♪」を追加しました »

2010年6月14日 (月)

通過儀礼としてのファッション、アジーレ(避難所)としての学校ーリトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)のショーに思う

中国・北京のレポートもまだ終了していないんですが、先週の土曜日、6月12日に、新しくオープンしたスペース「タブロイド」のこけら落としのイベントとして開催された、「リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)」のファッションショーと、続いて行われたトークセッション「ここのがっこう×ドリフ公開授業」の感想を記してみたいと思います。

このショーは、「招待状を持っていない方でも、ファッション業界人でなくても、受付で1,500円を払えば誰でも入場出来る」というやり方を取っておられました。

一般人が入場出来る有料のショーというのは、確か80年代後半から90年代にかけては千趣会さんがバックアップされる形で「千趣会ミラノコレクション」という名称のインポートブランドのショーが全国を巡回していて、私も何度かチケットを買って見た記憶がございますし、2000年代に入ってからは、神戸コレクションさんとか東京ガールズコレクションなどの大成功も記憶に新しいところです。方法論として特段に目新しいものではございません。

ただ、国内のいわゆる「東コレ系」と称されるブランドさんの事例としては初めてのケースで、動静が注目されていましたが、

実際に現場に足を運んでみて、来場者の多さに感嘆いたしました!1,000名以上いらっしゃっていた、という関係者のブログの記述もございましたが、少なく見積もってもその半数以上は有料入場者の皆さんだと思いますので、集客という点においては、大成功だったのではないかと思います。

今回のショーは、リトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)のコレクションとしては「#006」と位置づけられておりました。

私は「#004」(いわゆる「ゴミルック」の回)と、「#005」(「神様ルック」の回)には招待されていなかったので、それらはライブでは拝見しておりません(但し、「#005」の展示会は拝見しました)。

招待状を頂いて、「罪と罰」というタイトルから、ありきたりのイメージ(ドフトエフスキー)を想像しかけていたんですが、デザイナーの山縣良和氏が主宰しておられる「ここのがっこう」のブログに、デザイナーご本人による前振り的なコメントがアップされていたので、

「こりゃ、ドフトエフスキーじゃないだろうな」と。

それでもって、「今回は、服らしい服が出て来るんだろうな」と。

そう思って会場に行き、汗だくだくになりながら他の方々の頭と頭の間から目を凝らしながら2Fから見下ろすような格好でショーを拝見いたしました。

後でトークセッションの中で山縣氏ご自身による、「スカートめくりやパンチラがテーマで、最後に物干竿に吊るされた少年が登場したのは、いたずらをした男の子が干されているのだ」という趣旨の解説があったんですが、

ショーを見ている時には、私にはそこまでのことは想像出来ませんでした。ただ、登場しているのが、大人の男女ではなくて「少女」と「少年」だろう、という雰囲気は、洋服の雰囲気やモデルさんのルックス、ヘアメイクやショーの演出で強く伝わって参りました。

ショーが終わった後のトークセッションの中で、モード評論家の平川武治氏が、「山縣君は卒業して何年にもなるのに、今日のショーはまるで卒業制作ショーのようだ。デザイナーは自己リスクで自己資金でショーをやるべき」と厳しく指摘される一幕があったり、

聴講者の方からは、「前回や前々回のショーの方が社会的なテーマを取り上げていてよかった」というご意見があって、

それらのご意見は両方とも非常に最もだ、という風に私も思ったんですが、

その一方で、今回のショー、プラス、事前のブログでの前振りや、事後のトークセッションというデザイナー本人による言葉による説明という一連の流れからは、

山縣氏「らしさ」が伝わって来て、これはこれでなかなか味があって良かったんじゃないかなという気もいたしました。

欧米のファッションデザイナーが見せる、大人の女性向けの強く洗練されたイメージのコレクションに対して、山縣氏のこれまでのコレクション+今回のコレクションに登場してきた「少女」「少年」「老人」「神様」等々は、宮崎駿氏のアニメとも相通じるような、リリック(叙情的)で神話的で、そして、極めて日本的な世界観だと思います。

そして、アーティスト「チンポム(Chim↑Pom)」の卯城竜太氏が、「アートの業界って、人として最低の人間の集団だから」と自己規定出来る=アウトサイダーとして自己を対象化出来るだけの強さと覚悟を持ち合わせているのに対して、

「ファッション業界で干されたくない」とうじうじ語る山縣氏にはグラグラした感じ、自分の立ち位置を明確に出来ない弱さがあるなあということが、トークショーの中では浮き彫りになっていたように思ったんですが、

その弱さ、まだまだ青春の悩みの真っただ中を生きている人なんだなぁということそのものが、彼と彼のコレクションの最大の魅力なんだろう、そこに惹き付けられてピュアなヤングが集まっているんだろうなという風に改めて感じました。

山縣デザイナーにとってのファッションは、恐らくは「通過儀礼」なんだろうなと。
そして、まるで絵画療法でも行ったのかといった感じの下手ウマ風のポートフォリオの展示を見て思ったのは、氏が主宰する「ここのがっこう」は、恐らくは自分探しの途上にある若い人達のアジーレ(避難所)になっているんだろうなと。

ただ、アラフォー世代のさくら的には、「昔はこういうカウンターカルチャーとかサブカルチャー系のイベントは、大学とか専門学校のサークル活動や学園祭などで幾つも発生していて、若い子がエネルギーを発散出来る場は沢山存在した」ように思っていて、

通過儀礼を終える年齢はもっと若い時期で、「30歳前のいい年をした大人が・・・」という平川さん的な意見も非常によく理解出来るような気がしております。

逆にいうと、最近はヤングの人口が減少し、不景気の影響なんかもあって、「しかるべき時期にしかるべき通過儀礼の儀式を終える」ことすら出来ない、若者受難の時代になってしまっているのかと、ちょっと暗澹たる気分にもなってしまいました。

さらにもう1点、山縣氏の一連のアクションの中で気になっていることは、彼の「学校」へのこだわりです。

既存の学校=権威を否定し、新たな理想とする学校を創立するという行為は、「脱権威」ではなく、実は、新たな権威の創成だったり、ある種の価値観の押し付けになってしまう危険性も秘めていると。

ファッション業界は、実は、参入障壁は非常に低く、いわゆる「がっこ頭」の良い人(関西弁でいうところの、「学校の勉強がよく出来る賢い人」という意味)でなくても、中卒だろうが高校中退だろうが、ファッションが好きで、センスがあって、やる気がある人なら誰にでも門戸が開かれている、自由でチャンスの平等がある業界だと私は思うんですよ。

自分を否定したアホなセンコーへのルサンチマン(恨みつらみ)にいつまでも囚われてぐだぐだやっているインテリ崩れ君よりは、「そういうアホはほっとけ〜」と学校時代のことなんかとっとと忘れて、商売に邁進する人の方が成功する確率は遥かに高いのかなと。

そして、最後にもう1点、私の周りにいる業界人の皆さんが異口同音に語っていることですし、私自身も日々痛感していること、ファッション業界は、青春の唄が歌えない年齢=40歳以上になってからが、本当にしんどくなってくるんですが、

そうなった時、踏ん張れるか踏ん張れないかの差は、「どれだけ服が好きか」「自分が大好きな服というものに関する知識や経験を蓄積してきているか」、それに尽きるのではないかという風にも感じております。

あれこれ書いて参りましたが、山縣氏のことは、ある方が「ファッション業界に身を置くアーティスト」と評しておられましたが、私も素人ながらにその言葉には非常に共感をしておりまして、

類い稀なる鋭い感受性の持ち主だと思いますので、必ずやアーティストとしては活躍していかれる方なのではないかという気がしております。

ただ、氏が今後も「服をデザインする人」であり続けるのかどうかは、まだ未知数ではないかという風にも感じております。

「イメージを表現するショーと見せる服」「顧客ターゲットとその方々に買って頂ける服」、この両者の位置づけを整理し、後者に関しても戦略性を持って取り組まないと、「売れない」という状況はなかなか解決しないのではないかと思ったのですが(それとは別に、「売れなくてもよい」という考え方もありますが)、いかがでしょうか?

« リトゥンアフターワーズのショー | トップページ | リンク集に「ななみのファッションつぶやき日記♪」を追加しました »

コメント

>通過儀礼を終える年齢はもっと若い時期で、「30歳前のいい年>をした大人が・・・」という意見も
>逆にいうと、最近はヤングの人口が減少し、不景気の影響なん>かもあって、「しかるべき時期にしかるべき通過儀礼の儀式を>終える」ことすら出来ない、若者受難の時代になってしまって>いるのかと

こちらのBlogはいつも拝見させていただいているのですが、今回、上記の言葉にぐっと来てしまいました…
私は業界人ではありませんし、デザイナーの山縣良和さんもよく知らないのですが、大人になった実感が無いまま28になったので…

akiさま、はじめまして。
コメントありがとうございます。

昔も今も、通過儀礼を意識することなく、自然と大人になっていかれる方だって沢山おられますので、きっとご心配されなくても大丈夫ですよ。

無理して、暗い夜道で危ない橋を渡る、的な冒険をされることはないと私は思います。自分で自分のことをしっかり愛する、肯定することが出来るならば、大丈夫。

コメントを頂いたので、このことも書いておくべきだと思いましたが、いい年をこいて、ファッション業界周りでダラダラと無為な日々を過ごしている自分の方こそ、大人になりきれていない人間なのではないかと実は思っています。

「結婚」が最大の通過儀礼だとしたら、私はその道は通っておりませんので・・・人様のことを批評する資格はない人間なのかもしれません。

最近感じているのは、周りの方々を見ていて、長寿化、高齢化の時代は、「第3の誕生」、あるいは「第2の通過儀礼」の時期を生み出しているのではないかと。中高年のアイデンティティクライシスというのは、若い頃のそれより、ある意味では険しく、そして、希望ではなく諦念を持ってしか乗り切れないもののようで・・・。

この世代は大概お金がないのでファッションが「第2の通過儀礼」を乗り越える糧となることは難しいように思いますが、

長寿化、高齢化社会は、文化を必要とする社会であるなぁというのが、

既に「オバさん」と呼ばれる年齢になっている私の現在の問題意識の1つです。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/62244/35262509

この記事へのトラックバック一覧です: 通過儀礼としてのファッション、アジーレ(避難所)としての学校ーリトゥンアフターワーズ(writtenafterwards)のショーに思う:

« リトゥンアフターワーズのショー | トップページ | リンク集に「ななみのファッションつぶやき日記♪」を追加しました »