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2012年2月20日 (月)

同世代隣国のアーティストとの共時性/時代感覚の差を痛感ーイ・ブル展

今夜は、六本木の森美術館で開催中の

LEE BUL イ・ブル展:私からあなたへ、私たちだけに」を

見て参りました。

これまでも、彼女の作品を金沢21世紀美術館や東京都現代美術館などで何点か見ていて、

印象に残る作家さんだったので、

今回の個展開催を非常に楽しみにしていました。

イ・ブルさんは、私と同い年の48歳。

ヤング市場が中心のファッション業界だとこの年齢は、ひと昔前ならば完全に「既にピークを過ぎてしまっている人」と評価されてしまうところでしょうが、

アートの世界ならば、「今が一番脂の乗り切った時期」で、「50歳というひとつの節目を超えてから、20年30年後がまだまだ楽しみな方」という風に見てもらえると思います。

会場の一番最後のところで、今回の個展の準備風景とイさんへのインタビューをコラージュしたビデオが放映されていましたが、

イさんのお肌が、つやつやしていてものすごく若々しく見えるのに感心してしまいました。

実は、私も顔立ちのせいか(あるいはファッション業界の方々とのおつきあいが多いので、思考や行動、外見が一般の同世代の方々とは相当にかけ離れているためか)

年齢よりもものすごく若く見られてしまうことが多いのですが、

外回りが多いため、日焼けしてしまっていて、肌年齢は隠せない(笑)という感じなんですよね。

「朝起きたら、すっぴん、パジャマ姿のままで、思いついたイメージをひたすらスケッチしていく」ということをインタビューの中でも語っておられたんですが、

イさんがお若く見えるのはたぶんあまり陽にあたらない生活をなさっておられるからではないか(まさに、知識人、文化人的な生き様だと思いますが)という気がいたしました。

さて、本論ですが、

この展覧会は、彼女のアーティスト生活をほぼ時系列的に展示する方法をとっており、

古い年代から順に、

・つかの間の存在

・人間を超えて

・ユートピアと幻想風景

・私からあなたへ、私たちだけに

・・・という4パートに編集されております。

「つかの間の存在」では、80年代後半、90年代の作品、

心臓から何本もの手足やしっぽがにょきにょきと増殖した、モンスターのような作品や、

1990年に竹下通りなどの東京都心で、モンスターのぬいぐるみの中に彼女自身が入ってパフォーマンスを行ったときの映像「受難への遺憾」

などが紹介されていました。

彼女の初期の頃の身体性の強い作品をフェミニズム的な視点から解釈する向きが多いのですが、

私個人が感じた印象は、日本のいわゆる女流作家の方々と比較して、

「女性的でありながら、ものすごく強さのある作品だな」ということです。

「強さ」というのは、優れたアート作品には欠かせない要素で、それが、「女性は女性らしく」というカルチャーの中で育てられた女流作家には社会的文化的な見えない常識が足かせになって、どうしても作品がこじんまりとまとまってしまいがちになると思うのですが、

イ氏の中には、女性であると同時に、男女を問わず喜怒哀楽の激しい「韓国人らしさ」プラス、アーティストになるべくしてなっていく人独自の資質が相まって、

独特の強い表現が生まれてきたのではないか、そんな気がいたしました。

彼女の個性は、次のパート「ユートピアと幻想風景」で展示されている、頭がなく中吊りにされている白いサイボーグのシリーズなどの作品で、大きく開花したようです。

この世界観は、まさに、日本のアニメやゲームカルチャーの中で表現されている未来的宇宙的な世界観と共時的なもので、

ここに日韓の差はほとんどないように思いました。

一方で、イ氏の表現が、自らの身体的感覚から離れ、徐々に異空間に向かうにつれて、一般的には女性らしくない、日本ならば間違いなく男性が好むようなモチーフを創造するようになってきたな、という風にも感じました。

とはいえ、ここまでは、まだ同世代の作家への共感をもって鑑賞可能な作品ばかりだったのですが、

2005年以降の彼女の作品を取り上げた「ユートピアと幻想風景」のパートは、

同じ時代を生きながら異なる国、異なる政治状況の中で生きて来た私にとっては、

コンテクスト(文脈)が理解しにくい、非常に衝撃の大きい作品が多かったです。

軍事政権時代の大統領だった朴正煕氏を雪の塊の下に埋め込んだ「雪解け」、

雪深い山並みの中に黒々とした水を讃えた池を作り上げ、韓国の国民が決して足を踏み入れることが出来ない北朝鮮の白頭山の山頂にある天池を模した「天と地」、

これらの作品にみなぎる緊張感は、

同じ時代を生きていても、生まれ育った国が異なれば、直面する大状況は全く異なるのだという現実そのものでしょう。

「大きな物語の終焉」は、ゼロ年代にはポストモダンの日本でも評論家や哲学者などがある意味では安易にこぞって口にしておりましたが、

独裁政権、軍事政権の時代がつい最近まで続き、同じ民族でありながら体制の異なる隣国の存在という痛みを抱える韓国のような国においては、

「個人の小さな物語を大切に」ということは、自然発生的に、楽して手に入る幸せなんかではなく、

積極的な意思、ある種の覚悟とか戦いなくしては、なかなか言い切れるものではないんじゃないかと思うと、慄然といたしました。

建築家のブルーノ・タウトの作品を模した理想都市や、中吊りにされた空に浮かぶ都市像は、

何だか宮崎アニメの中に登場するスペースコロニーのように思え、

個人的には、

「アーティスト的なユートピア主義は、現実的にはやはり成り立ち得ないのではないか」と違和感を感じる部分もあり、

イ・ブル氏は日本でいうと、戦後生まれで現在60代くらいになっている人の感覚に近いところもあるんじゃないか・・・

つまりは、若い頃には世の中の矛盾がまだまだ多くそういうことに敏感で世の中にもの申す人=カウンターカルチャーを創造する世代になっているけれども、

これはちょっと申し訳ない言い方になってしまうかもしれないんですが、実際は一番、その国の経済成長の旨味を得て老後を過ごせる世代になるのかも・・・と思ったりもしました。

この展示会を紹介する幾つかのサイトに書かれていた、「日本の同世代とは生きて来た時代感覚が異なる」的な表現の意味が、実際に展覧会を見て、非常によくわかったのが、一番の収穫で、

これからアジアに出て行ってビジネスを行う際に、「共時的な部分と時代感覚が異なる部分」についてしっかり見極めて物事を見たり、コミュニケーションを取ったりしていく必要があるのだろうなと思いました。

しかし、今日の最大の収穫は、

最後の「私からあなたへ、私たちだけに」のパートで飾られていた、

キラキラ光るビーズで嘔吐する犬を形作った作品「秘密を共有する犬」が、

ガラスに映り込んだ後ろの作品「あなたの冷たく暗い瞳は無限に輝く」と共に、

眼前の東京の夜景と一体となって

言葉では言い尽くせない、何とも言えない美しい光景を創造していたのを目の当たりにすることが出来たことです。

この犬の作品には、イ・ブル氏の優しさ、鑑賞者への愛が込められているように私には感じられたんですよね。

パート3の作品が、特に鑑賞者に緊張を強いる内容のもの続きだっただけに、最後の作品でぎゅっと温かい包容を受けたような気がして、非常にほっといたしました。

森美術館は午後10時まで開いておりますので、この展覧会に関しては、夜鑑賞されるのがお勧めかもしれません。

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