フォト・ジャーナリストの清廉な生き方に感動ー映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」
遅ればせながら、今夜やっと、
川崎の109シネマズで映画「ビル・カニンガム&ニューヨーク」を観て参りました。
この映画は、“ファッションの映画”ではなく、
ファッションという業界を裏方として支え、
また、
ファッションという業界から一歩距離を置いたところから、時代を生きる人間の装いを、努めて冷静に記録し続けている
ジャーナリストの生き様を描いたドキュメンタリーです。
1929年生まれ、映画撮影当時82歳のビル・カニンガム氏は、The New York Times紙にコラムを連載するフォログラファー。
彼の撮る写真は、映画の中にも(リチャード・)アヴェドン氏の名が出て参りましたが、彼のようなコマーシャルフォト(広告写真)でもなければ、
昨今流行しているセレブを追うパパラッチでもありません。
ファッションショー、ストリート、パーティーの撮影と、写した写真を編集し紙面に掲載することを繰り返し、読者に時代の空気感と新しい芽を紹介し続けているのです。
ドキュメンタリーは、ちょうどカニンガム氏が住むカーネギー・ホールから古くからの十人であるクリエーター達が立ち退きを迫られている時期に撮影されており、
映画の中には、カニンガム氏の生き様の証言者として、
ファッション業界の著名人だけでなく、カーネギー・ホールの住人仲間達も登場します。
びっくりするほど小さな部屋の中は、過去に撮影したネガだらけ。
ニューヨークの市内を、雨の日も、寒い風の日も、自転車(28台盗まれ、現在29台目!)で移動、
パーティーでは食べ物やお酒はおろか、水も飲まない・・・という清廉な生き方を貫いています。
ファッション業界の著名人であっても、「今日はイマイチだな」と思えば、スルーし、街行く市井の人々の中に個性的な装いの人を見つけると、反射的にカメラを差し向けてしまう・・・。
まさに、「生涯一カメラマン」の生き方を貫いています。
映画の中で、「ファッションは日々を生き抜く鎧、これを捨てることは、文明を捨てたも同然」という言葉が出て来ますが、
カニンガム氏のファッション観が、狭い意味でのトレンドとかコレクションとかを越えて、
もっと広く大きなもので、ぶれない軸に貫かれていることに感銘を受けました。
映画のエンディングでは、The Velvet Underground and Nicoの「I'll Be Your Mirror」が流れる中、
カーネギー・ホールを出て引っ越したカニンガム氏が、台所のスペースを取り払ってそこにネガを保存するキャビネットを設けた・・・とのエピソードが紹介されます。
ただひたすらに、毎日の仕事=ファッション・フォトグラフの撮影に打ち込む日々。忙しすぎて、恋愛する暇もなかった、という人生。
それなのに、ビル・カニンガム氏の表情が、とても幸せそうに見えるのは、何故なのでしょうか?
私の中では、カニンガム氏の生き方が、自分の知る、日本の何人かのファッション業界の裏方の方々の姿と重なり合って見えました。ジャーナリズムとは何か、人生における生き甲斐、宝物とは何か・・・多くのことを考えさせられ、なおかつ、鑑賞後、とても清々しい気持ちになれる映画でした。
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